「伝えること」と「分かってもらうこと」


「私は君を見て思う

誰にも世界はあるんだと

同じにはなれないと分かってても

話をするんだよ 歌を歌うんだよ」



上はNeat'sの「世界」という曲の一部です。

(現在は新津由衣に改名し活動)


誰もが「世界」を持っていて

それを分かって欲しくて 伝える。



「伝える」は「人に云う」と書くから

言葉に変換することが必要だ。

(芸術家・アーティストは別に考える)



「伝える」には

1.話し手が「伝えたいこと」を言葉・文章に変換する


2.表現する。(声に出す、文章を書く)


3.相手が受け取る。



至ってシンプルで、「伝える」事自体はこれで完了する。




しかし、「分かってもらう」のは難しい。


上のプロセスなら2の「表現する」時、

使う言語が違えば「翻訳」が必要になってしまう。


例えば日本語の「あか色」は英語で「red」だけど、「赤、朱、紅」どれも「あか色」ではある。
本当に伝えたい「あか色」=「紅色」だったとしても、「red」で伝わる。

本当に伝えたいこととはギャップが生まれる。




少し上の内容とも重なるけど、

3の「相手が受け取る」の後には


4.「相手が解釈する」というプロセスが生まれる。


この時、話し手の言葉に対する「認識」が受け手とは違っていると間違って伝わる。



例えば「仕事」に対して…


「楽しくない、義務でやるもの」
という悪いイメージを持っている人(女性)

「楽しいこと、使命」
という良いイメージを持っている人(女性)



この二人に「育児は仕事」と言ったら、前者の人には反論されるかもしれない。

(母と母の友人の間であった実話)



あとは、言葉を知らないということも誤解を産む原因になる。


随分と前に「『 話が煮詰まる』や『 他力本願』の意味を多くの日本人は間違えて捉えている。」


という内容を上げていたテレビ番組を見た。
まさにこのことだ。



「伝えたいこと」を「分かってもらう」のは

自分の中にある「伝えたいこと」を
そのまま相手の中に「移す」
(適当な言葉が見つからなかった)

テレパシーのようなイメージで出来ればどんなにいいことだろうと思う。

あとは、相手の解釈次第。



愛している人への愛を「愛してる」の言葉に乗せて伝えた時、


受け取った側は「愛してる」という言葉にどれだけの大きさの愛を見いだせるのか。



愛をそのまま移せられればいいのにな。